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超強力機関車を求めて |
黎明期 ガスタービンはエンジン自体の誕生後すぐに機関車への応用が検討されました。1941年、世界初の近代型ガスタービンを開発したBrown
Boveri社は2000馬力のガスタービンを積んだ電気式機関車を開発、その機関車はスイス国鉄に納入され長期の試験が行なわれました。 発展期第2次大戦後、欧米では積極的にガスタービン機関車を研究しました。 アメリカではユニオンパシフィック鉄道で1948年から4500馬力の電気式機関車が試作され、1950年にはイギリスで2500馬力機、1952年にフランスで1000馬力自由ピストンガス発生方式の 機械式機関車などが試作され、世界的に広がりを見せました。一方、ユニオンパシフィック鉄道では1951年から上記機関車の量産が開始され25両が生産されました。 頂点アメリカ大陸横断鉄道のひとつであるユニオンパシフィック鉄道には長大な峠越えという難所があり、数キロに及ぶ長大貨物列車を世界最大級の蒸気機関車「ビッグボーイ」で牽引していました。 「ビッグボーイ」は4シリンダ2-8-2-8-2の軸配置で500トンに及ぶ巨大な機関車で、出力は動輪周出力6000馬力以上に達し、ディーゼル化が進むアメリカでもこれを置き換えるディーゼル機関車はありませんでした。当時の電気式ディーゼル機関車は2000馬力程度のエンジンしか搭載できず、動輪周出力は1400馬力程度しかなかったのです。 ここでもガスタービン機関車が注目されました。なんと8500馬力のガスタービンを搭載した電気式ガスタービン機関車の登場となったのです。ここに空前絶後、史上最強の内燃機関車が登場したのです。 一方、ドイツではアメリカほど強力な内燃機関車は必要とせず、ガスタービンの燃費にも抵抗がありましたが、ディーゼル機関車を手軽に出力向上する手段としてガスタービンをブースターとして採用することにしました。巡航用に2500馬力のディーゼル、ピークロード用に1200馬力のガスタービンを搭載、合計3700馬力というBBクラスとしては非常に強力な液体式機関車となりました。 そのほか、ソビエトでは6000馬力の電気式、機械式機関車を試作し、性能試験が行われ、中国でも試作されたようです。 ディーゼルの反撃 このころディーゼルは急速に性能を上げていました。アメリカでは単機2000馬力足らずだったディーゼル機関車が単機6600馬力に達し、ヨーロッパでは電気運転が進展し、ディーゼル自体も3000馬力級が実用可能となったのです。 |