ガスタービンの進歩

 キハ391開発当時、鉄道用に使用されていたガスタービンは1950年代の技術を元に1960年代に実用化された、言わば量産第一世代ともいえる初期のものでした。当時の設計技術や耐熱合金などはいずれもまだ水準が低く、効率面ではガソリンエンジンや蒸気タービンが目標であり、ディーゼルの敵ではありませんでした。燃費よりも出力が重要視される風潮があった当時、その軽量大出力特性に物を言わせて航空分野で他を圧倒、海へ陸へと活躍の場を広めようとしていたのです。同時に社会では急激な工業化と自動車の普及による大気汚染問題が深刻化、その対策が急務となっていました。当時のエンジンとしてはきわめて汚染物質排出が少ないガスタービンにとって大気汚染問題は強い追い風となり、ますます普及へ向けての機運と研究開発熱が高まりました。

 ところが973年に石油ショックが到来、効率の悪いガスタービンは急に冷遇されるようになりました。鉄道ではコストさえ気にしなければ電化することで効率的に高速運転が可能ですから、すべての高速鉄道プロジェクトからガスタービンは排除されたのです。250キロ運転を予定していたフランスのTGVは電気運転に設計変更され、同じく200キロ以上を予定していたイギリスのAPTは中止、代わりにディーゼルによる200キロ運転のインターシティー125へと落ち着いて行きました。すでに営業運転を行っていたフランスのRTG系やアメリカ、カナダのTurboTrainはそのまま残ったものの徐々に運転範囲は縮小し廃止の方向へと進みました。

 他の分野でもガスタービン熱は急速に冷めて行きました。低振動・静粛性、迅速起動が生存を左右する戦闘艦艇や非常用発電機などの分野にかろうじて活路を見出せる状態となったのです。駆逐艦などの艦艇の場合、急な敵襲に対処し対潜水艦戦に優位に立てることが最優先され、燃料消費は二の次ですからガスタービンは最適です。また、めったに使用しない非常用発電機でもガスタービンの急速起動性は有利です。

 ところがこの時期きわめて特異とも言える例が存在します。鉄道界、自動車界ともにガスタービン車両に見切りをつけていたにもかかわらず、アメリカ軍はガスタービン車両に興味を示し、ついにディーゼル案を退けて1980年以降本格的量産に入ったのです。陸軍の主力戦車M1の主機にガスタービンが採用され、10000機を越える車両用ガスタービンが量産されるという結果となり、その後の長期の運用でガスタービンの車両用としての利点と欠点が明らかとなったのです。

 一方、ガスタービンに依存する以外他に道の無い航空界では地道に改良が加えられ、その成果が徐々に現れるようになりました。材料科学の進歩、コンピュータを応用した設計技術、電子制御技術の進歩がガスタービンの効率を徐々に向上させていったのです。
 また、石油ショックの悪夢が過ぎて再び成長を始めた産業界では大気汚染がまたもや問題となり、省エネと低汚染が重要な課題となったのです。こうして遅々として改善の進まないディーゼル排気に対して次第に厳しい目が向けられるようになりました。ガソリンエンジンでは触媒や燃焼方法の改善により排気ガス浄化が大きく進歩しましたが、ディーゼルでは性能を維持しての排気ガス浄化には目処がほとんど立たない状況でした。

 このような中、ガスタービンの低汚染性に再び注目が集まるようになったのです。ガスタービンは窒素酸化物がやや多いものの、特別な改造をしなくても排気ガスはディーゼルに対して大幅にきれいで、発がん性などとの関連で問題となる粒子状物質はほとんど出ません。そのため、なんとかこれを航空以外の産業分野にも応用できないか期待が高まり、燃料消費量をディーゼル並みにすることが最優先課題となったのです。
 こうしてガスタービンの効率改善へいくつもの取り組みが始まりました。

M1戦車が示したもの

ディーゼルへの挑戦

 

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資料引用元

General Electric Company