アメリカ陸軍のM1戦車は世界で唯一の量産ガスタービン車両で、ガスタービンを戦車のエンジンに使うことについて世界中が疑問視していた中で採用されたユニークな事例です。ガスタービン戦車はソ連でT80の例があるものの、燃費に耐えかねてディーゼル版が開発され、最新のT90はディーゼルとなっています。これだけ長期間に渡って大量のガスタービン車両が運用された例はなく、ガスタービンの車両用動力としての特性を見るにはよい材料となります。
1960年代には車両用ガスタービン開発が活発で、重車両用の施策も幾つか現れていました。
このエンジンはその流れの中、Textron Lycoming社が開発したもので、電気式ではなく機械式で駆動することを目的に開発されています。そのため、航空機用ガスタービンとは異なる特徴があります。TF15という商品名で産業用に市販され、すでに10年以上前に生産中止になるような古いエンジンという関係で、軍用ではあっても詳細な情報が得られるようになっています。
エンジンの構成は少し複雑で下の図のように3軸式となっています。
第一の特徴として燃料消費量を減らすため、熱交換器を付けている点です。これにより排気ガスの熱を回収し、圧縮機で圧縮されて出てきた空気は加熱され高圧になって燃焼室に送られます。いわば廃熱利用で、航空用では排気ガスとともに捨てられていた熱を回収して再利用し、加熱に必要な燃料を減らすことができます。
次にパワータービンの手前にガスの流れの方向を変更できる機構を持つ点です。部分負荷のときパワータービンに送られる燃焼ガス量をノズルで絞ることにより無駄なガスの流れを減らし、排気温度を上げて廃熱を効率よく交換できるようにする仕組みです。また、この可変ノズルによりトルクの立ち上がりを早め、ノズルを反転させることでエンジンブレーキを働かせることも可能としています。
エンジン内部での作動状況ですが、まず吸入した空気は低圧圧縮機で圧縮され、次に高圧圧縮機に送られます。間に中間冷却機はありません。圧力比13.3に圧縮された空気は熱交換器に送られ、排気ガスの熱で加熱されます。そして燃焼室で燃料と混合され燃焼します。燃焼は連続的ですから間歇的に爆発するような衝撃は発生せずきわめてスムーズです。エネルギーを得た燃焼ガスはまず最初のタービンにぶつかり回転力を発生します。しかし、この回転力は上記の高圧圧縮機を回すために使用されてしまいます。なお、補機駆動用の動力はここから取り出され、減速されて電源や空気圧縮などのちょっとした仕事をします。まだまだエネルギーのある燃焼ガスは次のタービンにぶつかり回転させます。そしてこれは上記の低圧圧縮機を回転させます。これらのタービンはそれぞれ軸流1段で冷却翼となっています。燃焼ガスはさらにパワータービンへと進みます。パワータービンの直前には前述の可変機構(variable geometry)があり、適切な方向に向きを変えられパワータービンへぶつかります。パワータービンは軸流2段で構成され、膨張によりガス温度も下がっているため冷却構造はありません。そして最後に上述の熱交換器に進んだ排気ガスは圧縮空気に熱を与え、排気されます。
戦闘車両特有の機能としてtactical idleというエンジン設定があります。これは通常のアイドリング状態より高い回転数を保った状態でアイドリングを行います。このエンジンもご多分に漏れずガスタービン特有の応答性の悪さがあり、アイドリング状態から90%の出力に達するまでに4秒を要します。しかし、ガスタービンの場合、ガス発生器(圧縮機とその駆動タービン)が高回転していると応答性は大幅に向上するため、アイドリング時の高速回転は特に有効です。しかも可変ノズルによりパワータービンに不要な回転力が発生しにくい、いわば中立状態にできるため、駆動系への熱負担を減らすことができます。もちろん燃料消費は通常アイドルの約3倍と大幅に増大し、通常のアイドル状態でも消費量が多いのですからかなりの浪費となります。しかし戦闘車両では状況の変化に迅速に対応できる機動性が要求されます。最悪の場合、ガスタービンの応答性の悪さが命取りとなるため、燃費を犠牲にしてこの機能を持たせているのです。
このような構造のエンジンは乾燥重量1134kg、長さ1.629m、幅0.991m、高さ0.807mの大きさで、1500馬力を発生します。当時の同クラスの航空用ガスタービンよりかなり大きく、重さも5倍ほどありますが、10:1の減速機を内蔵しており、しかも熱交換器がかなりの部分を占めています。しかし、この熱交換器のおかげで燃料消費率は226g/PS/h、熱効率でいえば28%を達成、通常モードのアイドル時、燃料消費は1時間32kgとなり、キハ391時代のCT58のそれぞれ290g/PS/h、56kgと比べると大きく改善しています。特にアイドル時の消費量は出力が1.5倍あるにもかかわらず半分近くになっています。なお、上記の臨戦態勢時に行うtactical idleでは燃料消費が1時間100kg程度と3倍になります。
動力伝達は機械式で、前進4段、後進2段で、液体変速機がついているものの流体継手として使用される程度で、動力損失を減らすためすぐロックアップされて直結運転となります。ディーゼル戦車の場合、機械式で8段前後、最近の液体式自動変速機が4〜6段程度となっています。ディーゼルでは低速トルクの不足を補うため液体変速機に依存する領域が広く、機械式4段変速のガスタービンより加速力で不利で、ロックアップ後もエンジン回転数が最大回転数に近づくまでは同等の性能を発揮できないことになります。
トラック、バスなどの重車両を含む自動車業界はもちろん鉄道業界もガスタービン駆動から完全に撤退する中、これから数十年重要な役割を果たす主力戦車にガスタービンを採用するからにはそれなりの利点があったに違いありません。一部には深刻な経営不振に陥っていたクライスラーへの支援という政治的決断が働いたと揶揄されていました。
燃料消費量の多さはやはり問題となりました。リッターあたりの走行距離は舗装路で255m程度で、レオパルド2などのディーゼル戦車の330mと比べ大幅に短くなっています。しかもこの数値は高速巡行をした場合のもので、湾岸戦争での実績ではリッターあたり142mという数値も出ており、ディーゼル戦車より2倍以上悪い可能性があります。アイドリング時の燃料消費もAGT1500で改善されたとはいえLeopard2の1時間あたりの消費量12kgと比べると2.5倍以上の消費となります。戦車の場合、鉄道やトラック以上に部分負荷やアイドル状態で運転する機会が多いためガスタービンは燃費が深刻な問題となることは予測できたはずです。大量の戦車による長期の戦闘を継続するには大量の燃料が必要ですが、ディーゼル戦車と倍の差がつくとなるといかに強力な兵站能力があるアメリカ軍とはいえ相当の負担となるはずです。湾岸戦争でもこれは現実問題として現れ、前線地上部隊の展開が戦車の速度ではなく、給油部隊の展開速度に制約されていたのです。このような重大な問題と引き換えにして得たものは何だったのでしょうか。
当時の戦車では防御力、攻撃力、機動力の3つを併せ持つものはなく、多くはそのどれかひとつを犠牲にしていました。強力な武装と重装甲を施せば車両重量が増大し機動性が犠牲になります。当時のディーゼルではこの点が解決できず、コンパクトなガスタービンに解決策を求めたのがガスタービン化の主たる要因でしょう。また、ガスタービンの低振動、低騒音、無煙排気の利点も戦闘車両には有利でした。
小型軽量低振動のため設置に強固な基礎構造を要せず、動力装置はコンパクトにユニット化され、着脱は容易で、エンジン自体が当時のディーゼルより故障率が低いことも相まって稼働率向上につながりました。
ガスタービンはディーゼルに比べ消音が容易で、M1戦車は世界一静かな戦車と評されています。
ガスタービン動力ユニットとディーゼル動力ユニットの騒音比較
そのため戦場ではエンジン音がなかなか聞こえないため戦車がかなり接近するまでわからないことが多く、物陰から不意に急襲されるということが起こりやすく、"Whispering
Death" とあだ名されました。同時に乗員やいっしょに行動する歩兵の居住環境が大幅に改善されています。
排気ガスが見えない点も有利です。ディーゼル戦車の場合、物陰に隠れていても排気煙のために存在が探知されますが、ガスタービン戦車の排気は見えないため戦車自体が現れるまで見つけることが難しくなります。特に寒冷地やエンジン始動直後にこの差は顕著となります。
また、市街戦などでよくある、歩兵が戦車の後ろに隠れながら進んでいくようなときも有利となる面があります。ディーゼル戦車の場合は排気ガスに悩まされることがよくあるようですが、ガスタービンの場合排気ガス毒性が低いためこの問題はほとんど生じません。ただし、ガスタービンはディーゼルより排気温度が高く量も多いため、赤外線映像により追尾する兵器に対して標的になりやすい傾向があり、M1では排気ガスを案内、拡散する構造を後に追加しているようです。また、歩兵が戦車の直後について行動する場合、排気口中央付近に接近しないようにする必要があるようです。
次のリンクのビデオには車両を機械式動力伝達でガスタービン駆動した場合の騒音、応答性、排気ガス性状が非常によく現れています。背景組織の規模の差を考えると当然ですが、ほぼ同世代とも言えるキハ391の技術とは明らかに次元が異なる完成度です。
より出力の小さい550馬力のガスタービンをポルシェに搭載したものが次のビデオです。消音器もなく、流石に車として使うには低速でもたつきがありますが通常のヘリ用ガスタービンをそのまま使った割には意外にレスポンスが良い感じです。
M1戦車のディーゼル化はライバルから幾度も提案されています。1994年にはスウェーデンでガスタービン駆動のM1とディーゼル駆動のLeopard
2.を実際に3700km走行させて燃料消費を比較、予想通り2倍の差が出ました。またゼネラルダイナミクス社ではMTU
MT 883ディーゼル搭載の輸出仕様を提案したものの、アメリカ軍は次期エンジンもガスタービンに決定しているようです。現在でも主機をディーゼルに取り戻そうとする動きは活発で、すでにエンジン交換を必要とする年数が経ち保守整備コストが上昇している中、どのように進展するか不透明な状況です。
鉄道車両でも同様の比較をシミュレーションすると両者の特徴が現れてきます。
一方、T90で主機をディーゼルに戻したロシアもすべてディーゼル化できない現実に直面しています。何しろシベリアの極寒の地で行動するにはディーゼルには始動性の悪さという致命的な問題があります。
極端な寒冷環境では機関始動から安定状態になるまでにディーゼルの場合45分かかるのに対しガスタービンはわずか1分で済みます。このような地域で運用するディーゼル車両にとって常に問題となることで、今でもT80が重宝されているのが現状です。
アメリカ軍ではこのような環境での運用機会はあまりないと思われますがガスタービンへのこだわりは強いようです。2018年に納入の更新版もエンジンは高効率ディーゼルへの置き換えを否定しており、まだ当分はAGT1500で切り抜けるようです。
AGT1500の更新時期を過ぎても未だに”応急手当”で逃げており、ますますの財政難の中でどうなるのでしょうか。 155mm自走砲の動力源との共通利用でLV-100採用と決まってからもう長い時間が立っていますが全く進んでいません。 LV-100は全負荷時の燃料消費量を25%低減、アイドル時の燃料消費量では車載状態で見るとAGT1500が34.8kg/h食うのがLV-100では20.1kg/hまで減らしています。 まだ最新のディーゼルには及びませんがこのクラスのガスタービンとしてはかなりの進歩と言えます。 さらに電気式動力伝達方式での対ディーゼル優位性はかなりありますので最近の高効率半導体、電動機、蓄電池技術の動向から必然的に出てくる技術があります。
アメリカ陸軍の地上車両ガスタービン駆動へのこだわりは確かに不思議です。主力戦車で同様のシステムを採用した国が現れていないことからもメリットが少ないといえます。一方アメリカ陸海軍は以前から電気推進に強い関心を示しており、小型軽量の発電システムを研究しています。ALPSプロジェクトのページに書いていますが、高速回転発電システムの実用化でガスタービンの高速回転が利点となるこの用途ではガスタービンの欠点を解消できる面が多く、高出力高性能を要求される分野で再びガスタービンが注目される可能性があります。機械式駆動方式ではディーゼルの性能向上で戦車程度の規模であれば出力密度の面でガスタービンがあまり優位に立てなくなっています。しかし発電セットを構成する場合、高速回転が困難なディーゼルは燃費以外ガスタービンの敵ではありません。次期戦闘車両用として開発されたLV-100、LV-50はいずれも高速発電セットを構成可能な設計となっており、アメリカ陸軍のガスタービン駆動へのこだわりは地上車両の電動化、ハイブリッド化の可能性を見越しているのかもしれません。