高速列車の切り札として、非電化に奇跡をもたらすスーパーカーとして注目されたターボトレイン、1973年、あっという間に奈落の底へ転落するときがやってきました。なぜ救世主的英雄ともてはやされていながらいきなり追放されるようなことになったのでしょう。
中東諸国が原油を武器として利用するようになり原油価格が急騰、一気にエネルギー事情が変わり、引き続く中東情勢不安から
世界は省エネへと向かわざるをえなくなりました。燃料を大食いするガスタービンは一気に冷遇され、ターボトレインによる高速列車計画はすべて見直されました。
電気車の分野では着実に技術革新が進行しました。集電の問題も架線とパンタグラフの改良が進み300km/h以上でも安定した集電が可能となってきました。パワーエレクトロニクスの進歩は電気車の性能と効率をさらに高め、周波数と電圧を自在に制御して構造が単純で小型軽量な誘導電動機や同期電動機を自由に制御できるにいたって電気運転の優位性は確固たるものとなって行きました。
当時、ガスタービンはエンジンの中でもっとも革新可能性、開発可能性があると注目されていながら、現実にはなかなか進歩しませんでした。期待された高温高強度セラミックは実用化できず、夢の高効率ガスタービンはおあずけのまま。最大の市場と目されていた自動車業界も大半が撤退してしまいました。
ディーゼルは地味でも着実に性能を上げていました。小型軽量化もある程度進行し、もともとよかった燃費は直噴化や電子制御などの改良でさらによくなり、省エネ時代に電気運転に次いで期待される車両用動力となったのです。イギリスでは世界ではじめて電気式ディーゼル列車による200km/h運転を実現するに至りました。
こうして高速列車はすべて電気運転を前提に計画が進められ、電化できないところは中速度のディーゼル運転でまかなうという方式へと変化して行きました。