この間、どのような編成にするか、各種の案が出ていました。 ガスタービン車の計画が始まったころには181系の運転席後方の機械室に2200馬力程度のガスタービンを搭載した動力車を両端に配し、中間に軽量の付随車を6〜7両ほど組み込んだプッシュプルタイプの動力集中方式の列車が構想されました。 181系は先頭車に合計730馬力ものディーゼルエンジンを積んでいますから、2200馬力のガスタービン車のほうがかえって軽量になります。 変速機がないとはいえ、なにしろ2000馬力超、あまり軽量になると全軸駆動でも空転が多発します。 おそらく軸重10トン程度を目安に設計されたでしょう。 なんと40トン程度でDD51と同じ出力を持つ、機関車ではない、気動車が計画されていたのです(直結駆動のため伝達効率がDD51よりよく、高速域の動輪周出力はガスタービン動車のほうが2割近く上回り、客席もキハ181並かやや少ない程度確保される計画であった)。 この方式は分割併合や輸送量に応じての編成両数の自由度がありませんが、線形に応じて付随車を増減して性能面の対応ができる利点はありました。
その後、391の試作が決まると、同型の連接構造を1ユニットとし、3ユニットから6ユニット
で1編成を構成する案が登場しました。 しかし、この方式では山岳線でも平坦線でも性能が同一になる点や、変則的な連接構造のため車体長が在来車と一致せず、ホームなど接客施設の面で問題がありました。 電車でも結局は591系の連接式をやめて381系が誕生した経緯もあって通常の車体を採用する方向で計画が進んだようです。 伯備線程度であれば4M5Tから5M6T程度、より平坦線の場合は3M6Tから4M7T程度で対応するつもりだったようです。 当然、M車1両の出力は1000馬力から1200馬力程度に達し、エンジンの床下搭載か、車端搭載を想定していたようです。 振子車で大トルクをどうやって伝達する予定だったか興味ある話です。 391の中バリ方式を用いて駆動系と車体を独立させようとしたのでしょうか。
しかし、残念ながら昭和48年のオイルショックと国鉄経営、労使関係の破綻も手伝って現実の量産車は日の目を見ることはありませんでした。